おしらせ

11月23日に浅間山ジオパーク推進協議会と、地元の市民団体「おちょんきねっと」の主催で、映画『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』の上映会が行われます。

上映会では映画の出演者である菅野榮子さんらがトークゲストとして招かれ、話をする予定です。

日時
2017年11月23日(木・祝)
開場13:00 / 開演14:00
場所
嬬恋会館
トークゲスト
菅野榮子 / 菅野芳子 / 菅野哲 (敬称略)
チケット
前売り 800円 / 当日 1000円
チケット発売
嬬恋村観光協会(0279-97-3721)
浅間山ジオパーク推進協議会(0279-82-5556)
おちょんきねっと(080-5146-0066)
主催
浅間山ジオパーク推進協議会 / おちょんきねっと

映画『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』

イントロダクション

畑を耕し 漬物をつけて 食べるものは自分でつくる
ふたりで泣き 笑いながら ”これから”を模索する

菅野榮子(かんの・えいこ)さんは79歳。孫に囲まれた幸せな老後を送るはずが、福島第一原発の事故で一転する。榮子さんが暮らす福島県飯館村は全村避難となり、ひとりで仮設住宅で暮らすことになった。支えは親戚であり友人の78歳の菅野芳子(かんの・よしこ)さんだ。芳子さんは避難生活で両親を亡くし、ひとりで榮子さんの隣に移ってきた。「ばば漫才」と冗談を飛ばし互いを元気づける、2人の仮設暮らしが始まった。

榮子さんの信条は、食べるものは自分で作ること。ふたりで畑を耕し、トマト、キュウリ、芋、大豆、大根など様々な作物を収穫する。かぶや白菜の漬物、おはぎ、にんじんの胡麻和え・・・「おいしいよ」と笑顔で食卓に手料理を並べる。村の食文化を途絶えさせたくないと、昔ながらの味噌や凍み餅(しみもち)の作り方を、各地に出向いて教えるようにもなった。

飯館村では帰村に向けた除染作業が行われている。だが高い放射線量、変わり果てた風景・・・。ふたりは先の見えぬ不安を語り合い、泣き笑いながら、これからを模索していく。

予告編

出演

菅野榮子(かんの・えいこ)

昭和11年(1936年)生まれ 佐須地区出身
榮子さんは46年間を酪農に費やし、70歳からは夫とともに有機農業を手掛けてきた。農作業の傍ら、20年にわたって義理の両親の介護をしてきた。一方で、地元の女性とともに加工グループを立ち上げ、伝統的な飯舘村の食文化である「さすのみそ」「凍み餅」 「凍み豆腐」などを作り、村に貢献してきた。夫を原発事故の前年2010年6月に、義理の母親を原発事故の1カ月前に亡くす。息子が農業を継ぎ、これからは息子とともに自分のために生きようという矢先、原発事故が起こった。それ以来、現在に至るまで、榮子さんは家族と離れ、伊達東仮設住宅で避難生活を送っている。3人の子どもと6人の孫がいる。

菅野芳子(かんの・よしこ)

昭和12年(1937年)生まれ 佐須地区出身
飯舘村佐須地区の榮子さんの近所に住む。榮子さんとは夫同士が親戚にあたる。原発事故直後、千葉と埼玉に住む息子たちが迎えに来て、寝たきりの母親と治療中の父親と3人で埼玉に避難する。しかし8カ月の避難生活のなかで、父親と母親の両方を亡くす。2人の死後、福島が恋しくて帰って来た芳子さんは、榮子さんを探し、伊達東仮設住宅の榮子さんの部屋の隣に入居した。それ以来2人で仮設住宅の近くに畑を借りて農作業をする。榮子さんと一緒に、飯舘村の伝統的な食文化を残すために全国を回っている。3人の子どもと9人の孫がいる。

監督

古居みずえ(ふるい・みずえ)

30年近くパレスチナの取材を続ける中で、特に女性や子どもに焦点をあて、『ガーダ パレスチナの詩』『ぼくたちは見た ― ガザ・サムニ寮の子どもたち ― 』 など個人や家族に密着したドキュメンタリー映画を発表。本作でも、故郷を奪われた哀しみを抱えながら、たくましく生きる女性たちを丁寧に見つめていく。

プロデューサー:飯田基晴 , 野中章弘|編集:土屋トカチ|整音:常田高志|宣伝協力:東風|配給:映像グループ ローポジション , アジアプレス・インターナショナル|製作:映画「飯舘村の母ちゃん」制作支援の会

2016年|95分|HD|ドキュメンタリー